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幻想即興曲にみる恋愛

 

幻想即興曲ショパンの曲で、私が学生の頃一番そばにあった曲であり、ショパンはみじかにあった。そこから音の輪が広がり、最も愛してやまないのはベートーヴェンピアノソナタ第23番「熱情」と現在に至る。静かに、激しくそして荒れ狂う外の風…と言うのが私のイメージする情景なのだが。どうだろうか。

音で表現するわけだから、そこに作り手の感情が入ってそれを聞く側が感じる、という楽しみが音楽にはある。曲の中にある感情を感じ取るのが、私は好きなのだ。

 

突如だが、恋愛は自己陶酔しないとできない。現実に戻れば、我にかえれば冷めていくようで。恋愛って(と、知ったようなこと言う)、まさに二人だけの世界で、周りの状況が見えなくなって、本人たちにしてみたら、勝手に盛り上がっているのだが、世の中は普通にまわっているのだ。それを考えれば、言い方悪いが、バカバカしくなったりして。それでも私は、こんなことを書いたりして、このバカバカしい恋愛というものを考える。なので私は自己陶酔できるのだ。音楽で感情を感じ取ることが好きな私は、恋愛もそうだが、この感情というものに、著しく反応する。なので、私はバカバカしい恋愛だなんて思わない。とめどなく書くが、要は音楽と恋愛と言うのは同じようなもの、と考えるのはどうだろうか。

以下は、私の自己陶酔に入り込んだラブレターである。自己陶酔入りまくりだ…

「 無邪気なその笑顔 永遠に失わないでいて 何にでもなれるよ

それをもし守っていけるなら」

私にできることをいつでも考える。でもそれは私のエゴでしかないことも分かっている。ただ笑顔を見たいから。私の左で笑っている、あなたの横顔見たいから。他に何もいらない。ただ欲しいのは笑っているその笑顔。それは何があっても守りたいもの。そう、どんなあなたであっても、いつも受け止めるから。それができる強い自分でいたい。どんな状況かもわかっている。それでも守りたいだけ。

 

 

揺さぶられる坂口安吾

坂口安吾bot 「恋愛というものは、いわば一つの狂気であろう。私の心に住むあの人の姿が遠く離れれば離れるほど、私の狂気は深まっていた。」

「愛し合うことは騙し合うことよりもよっぽど悲痛な騙し合いだ。」

坂口安吾語録である。もちろん恋愛もの語録はいっぱいあるのだろう。坂口安吾の恋愛は、心中穏やかではないと感じる。こんなことも言っている。「私の本当の喜びは恋をすることではない。肉欲にふけることではない。ただ、恋につかれ、恋にうみ、肉欲につかれて、肉欲をいむことが常に必要なだけだ。」ますます安吾は私の興味の対象になる。この人はどんな恋愛をしてきたのか。

 

風と光と二十の私と (講談社文芸文庫)

風と光と二十の私と (講談社文芸文庫)

 

 安吾の本の中でおすすめされた本。あど堕落論だったかな。定かではない。読もうと思っていた本。この本はかれこれ10年ほど前に買った。後生大事にしまっていた。時間があるようだったら読みたい、などどいつも言い訳して読んでこなかったのである。

安吾は激情型なのだろうか。私の中で安吾は穏やかである。まだまだ「彼」を知らない。私はこう見えても、激情型である。彼とは相性が合うだろうか。感受性を激しく揺さぶられることに、快感を覚える。そんな女である。まだまだこれからの間柄なのだが、私は快感を得ることができるのだろうか。お互いぶつかり合うことはできるのであろうか。まだ見ぬ彼との、出会いを早く実現させなければ、と思った。

 

ラストスパート

もっともらしいこと言って、もっともらしい文章を書いているように自分で思うことがある。だがこれは自身しかわからないことかもしれないし、文章がよく分かっている人にはもうすでに気づかれているかもしれない。もっともらしいこと言って安心しているのかもしれない。きっと深いところを指摘されれば、言葉に詰まるのかもしれない。何とも言えない。自分で読み返してみれば「あれ?もう終わり??」と思ったりする。で、そこもう少し書けるよね?肝心なことは書かないの?といった具合に、自分で精神的に負荷をかける。かなりしんどい作業。またやってしまった。まぁ、ブログなんだから好きなように書けばいい。でももう限界。無理と思いたい、もしくはこれでいいと満足したりして。だが、本当にそれでいいのか。そう簡単に投げ出したくはない。何のために書いているのだかわからない。好きなように書くとなれば、自分のツマラナイ過去でも延々と語っていたっていいわけだし。しているツモリ、がいちばんタチ悪い。いちばん書きたくない文章だ。今日は少し後ろ向きかと思う。

 

近いうちにプレゼン形式で自分をアピールしようと思っている。内容は今まで書いてきたもの。時間を作ってもらおうとしている。正直考えるだけで、緊張する。大きな告白もある。内容はその時の周りの反応と、そして「あなたの胸の内」を明かしていただけませんか…?と聞いて回りたい。その反応や意見は、ブログにも書こうと思う。書けるような内容だったら…だが。

 

私にとっての、ラストスパートがいよいよ待っている。

心酔する文章

ブログに集中すると書かねばならないことが書けなくなる。なのでしばらくの間、中途半端な文章(自分の中で)になることは仕方ない。やらなければならないことに集中する。以前に書いたが、メルボルンにいる彼を追わなくてはならない、いや今は巴里だ。

 

ところで、人の文章を読んで心酔したことはないだろうか。私は、文筆屋ではないが、ある専門誌に連載している(セミプロというのか)人の書く文章が好きである。どこか男くさいのだが、どこか繊細なのだ。文章は人となりが出るものだと私は思っているので、おそらくその様な人なのだろう。私の解釈でいえばその様な人だと思っている。最初読んだのは、十年以上も前のことだ。そして数年前、ふただび目にする。変わっていなかった。繊細なところに、緻密さを増していた。どこか開高健の文章に似ている。言葉が散乱しているかのように使われているのだが、それは収まるべきところにおさまっていてそして新たな描写として印象付けている。開高のグロテスクかつ血なまぐさい表現が、その細工だけで、繊細で味わいのある描写に変わる。そんな感覚を覚えるのである。

私にとって心酔する文章とは、そのような文章だと思っている。まあ、好きな人がいたら、もれなく文章も好きになるのかな。

あこがれなのかもしれない。

 

リベラルとモラル

フィクションとして読んでください。

例えば恋愛のはなしであるがここでは、一緒に考え感じてもらえるとありがたい。

《恋愛において、リベラルな考えを持っているとする。これも一つの思想なのかもしれない。このことを隠すつもりも、恥ずかしく思う必要もない。「誰かが」ということには触れない。日本はモラルが人々を支配することはない。大罪になることもない。だが思想は時として、暗闇となり人間を引きずりこむ。いまの昨今である。それはあくまで個々の考えかたとしてほしい。リベラルにものを考えられるのは、世界のなかで日本もそうである。しかし、誰もが恋愛はすべてにおいて自由だとは言い切れないことはわかるだろう。道徳心が大切だと言えばはなしは終わりだが、未だ世界では、モラルに忠実であることを人々に求めたりするのである。宗教であったり組織などだったり、いずれも思想へと転じ破滅へと向かう。道徳(モラル)と銘打って人を支配するがしかしそれは人々を退化させる。》

なんだか怖くなる。のは、ある意味書いた私だけかな。

 

シナリオを作る年下。

あなたが大切にしている人は「年上」ですか?「年下」ですか?ここで言う年下・年上は8才以上とさせていただく。

幾つなっても恋愛は人生を充実させるものではないか。素直に今そう思える自分がいる。だが年を一つづつ重ねるにつれて、いつの間にかできてしまう、男女の恋愛構図。年上は年下を甘やかし、年下はどこか年上に甘えてなめてかかる…。「シナリオを作るんです、年下は。」どういうことだろうか。「年下は、ずる賢いんです。シナリオを作って私を誘導するんです。」そう言うのは20才年下の彼がいる女性。ところが「許してしまうんです。」そうですか…。彼女の性格かと思った私に彼女は「でも同じ年の人や年上の人に、そんなことしません。同い年の彼だったら"自分でやったらぁってなります。"」彼女は続ける「たとえシナリオだとわかっていても、喜んでくれればそれでいい。それがいいんです。」20才の年の差を知った時の衝撃もあった。それだけに、彼女からしてみたら「彼は大切な男性」なのだと言う。ずる賢いのもシナリオを作ることも、ひっくるめて自分の人生の中にいてくれる彼を彼女は大切にしているのだろう。それは彼女を見ていると、辛いだの苦しいだの、そんな言葉は一切出てこないのである。私も「順調」に年を重ねているので、彼女の気持ちは少しくらい理解できる。許せるかどうかは別として。私なら「自分の人生の中にいてくれる彼を大切にしたい」と思う。何かに焦るわけでもなく、何かを疑ってかかるわけでもなく。ただただ静かに、穏やかに、感謝したいよなぁ。

 

だから許すのだろうか…。

 

ベルリン出身の写真家の彼

新しい彼は、「ベルリンから始まり、シンガポール、オーストラリア、パリ、アメリカ、ロンドン」と居場所(仕事場)を点々とする。バックグラウンドは世界だ。いまはどの辺りだろうか。追いかけなければ、彼はどんどん先に行ってしまう。つい先月まで、開高健が心の友だったが、いい加減彼に別れを告げ、次へ急ぐ。今度は写真だ。映像であり、また芸術である。次の彼は異国人だから、会話が一苦労だ。いまだ相手も、私も様子見の状態である。だが会話のテーマが見つかった今日からはそんなにゆっくりもしていられない。前へと攻めなければならないのである。 彼はメルボルンを旅していた。そこが私たち二人の出発地点だ。

 

奥さまは了解済み。ちなみに奥さまも写真を撮る。夫婦きってのおしどり夫婦だ。夫婦の馴れ初めも聞きたい。メルボルンで彼はファション雑誌の仕事をしていた。写真を見せてもらうと、いわゆるモードな洋服に身を包んだモデルの、保守的な写真なのだ。彼の撮る写真からはかけ離れている。仕事を得るために、彼の好きな写真を撮るためには、彼はやらなければいけない。しかし彼は嫌々やっていたのだろうか。彼の腕は高く買われているようだ。仕事先は世界的なモードファション雑誌のヴォーグである。彼の本当の意味での才能は、ここで終わるはずもない。彼はどのようにして確立させようというのだろう。写真界屈指の才能を誇る彼が、世界の頂点となるまで。

 

私はその目撃者の一人となろう。

 

 この文章の雰囲気でいこうかな。月曜日はまた打ち合わせだ。