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恋する対象

評論を書く機会があったので、開高健を取り上げてみた。

あぁ、もう少し開高を愛してあげればなと思った。あまりにも時間が短すぎた。

私が文章を書く対象は、恋する対象で、愛すべき文章でもある。それが人でも同じことだ。なるべくなら寄り添っていたいし、理解してあげたい。

「輝ける闇」での開高健の文章も最高である。初めて触れた時、妙な衝撃を覚えた。散乱たる言葉たちは、開高によって見事に組み合わされ文章に意味をもたらす。

だが、決して華美ではなく、時

 

輝ける闇 (新潮文庫)

輝ける闇 (新潮文庫)

として簡潔で繊細で、時として生々しく、グロテスクなものにもなる。興奮とともに最後を終えるのだが、映画でも見たかのような余韻が残る。 

開高は58才という若さでこの世を去っている。「ダンディズム」がよく似合う男である。私もどれだけ彼を知り尽くしているわけでもなく、「これからあなたを知っていきたいの。」といったところだろう。これはたしかではないが、開高は「異端」だったのではないか。それは、三島由紀夫大江健三郎など、いわゆる美しい純文学を執筆したとすれば、開高は戦争という自分の実体験をもとに小説にして、大江健三郎ノーベル文学賞とは別の道へいったのである。あの三島由紀夫ですら、開高を一目置いていたように思われる。「輝ける闇」の最後の解説に三島の言葉が出てくる。

 

今回の評論では、開高文学といいお付き合いができた。大げさに言えば、私の中に開高の「生きる証」が芽生えたようだ。しかしこれはこの本を読めば誰の心にも彼の生きる証は生まれる。人間は死を前に強靭な心でなんかいられない。開高もまたそうである。この小説の中で、彼がもたらしたものは?と聞かれれば、私ははっきり「ない」と答えよう。なぜなら彼は戦争の是・非でなく、人の死が、戦争の凄惨が、この小説で現実となるよう、ただそれだけで書いていたのではないかと思ったのである。