福田奈美

「堕落」、官能的であること

官能的なものって人だけじゃなくて、多くのものに形容されるのではないかと思うのだが。ダイレクトなものでなく。人それぞれ感じるものは違うかもしれない。そもそも官能的のイメージは決して安っぽくないのですよ。性的魅力のあるものというと、下品とまで言わないまでも、社会において必要のないものだと考えるのではないでしょうか。

 

例えば、官能的な街はどこだろう。私は、やはり台東区をあげてしまうわけです。官能的な小説家は、谷崎潤一郎渡辺淳一なんてダイレクトすぎて私のイメージではない。太宰治だろうか。「死」のイメージがあるからだろうか。エロティシズムなものを感じる。イメージするのはアルゼンチンタンゴとか。決して華美ではないこと、体を密着させ踊るのだが、どことなく寂しげで物憂げ、この踊りが下級層のものであることも官能さを増している。そうである、私の官能的なもののイメージは、「堕落」なのである。健全さとはまるで反対のものだ。しかしここでも言っておくが、下品ではない。堕ちていく。この言葉はとても好きなのだが、決して表立ってはいけない。これはあくまで、裏の別世界なのだ。普段社会の中に立っているのだが、それが堕ちていくとどうなるか。これがエロいのだ。しかし、何度も言うが安っぽいものではない。

 

官能的なものは何だろうか。これに関しては、まだまだ考える。ちょっと今回はメモ書きとして。