開高と安吾の「女」と「性」に見る母性本能

またまた書いてしまった開高と安吾について。
久々に安吾を読んだので書いてみた。


開高と安吾の「女」と「性」。


「女」を凝視し、「女」に対する愛情の表現の仕方は作家みなそれぞれ違う。

例えば開高健の中の「女」は、今の時代で言う、男ウケする女だ。ある女は開高の前で自由奔放に振舞ったり、また別の女は開高の従うがまますべてを受け入れる。いずれもタイプは違うが、開高の理想とする女像が色濃く出てくる。表現で言えば、文学的(どこか美しくも儚げ)な生々しさを覚える。しかしそこに決して淫猥な表現はなく、あくまで儚さを感じるのだ。それでも表現に十分エロさを感じるのは、私が女だからだろうか。そこが開高健の「女」への、「性」に対して抱く情景なのかも知れない。そして開高の美学なのだろう。

 

 

夏の闇 (新潮文庫)

夏の闇 (新潮文庫)

 

 

 

反面、安吾にしてみれば、どこか「性」へ踏み込めない何か、愛情は強くても、性に対しては「隠」というイメージが見当たらない。女が愛おしくて愛おしくてたまらない。そんな感じ。安吾は性に関しても、とことん安吾らしい。
それは卑猥な行為そのものの表現ではなく、安吾が頭または心のうちで考える「女」という生き物に対する耽美的な捉え方が強い。

 

 

桜の森の満開の下・白痴 他十二篇 (岩波文庫)

桜の森の満開の下・白痴 他十二篇 (岩波文庫)

 

 

だが、女の私が分析すると、というかあくまで私の好みで分けてしまうのなら、安吾ではなく、開高を選ぶであろうな、と考えてしまうあたり、彼もかなり母性本能をくすぐられるタイプだと見た。 

安吾安吾で可愛いが。