福田奈美

無邪気な笑顔を忘れないでほしい。

私の知り合いに、「発達障害らしき人」がいる。このような言い方をして果たして良いのかどうかわからない。

 

ただ、彼の天才とも言える、技術者としての他をも寄せ付けない強固たる才能は、私の脳裏に「発達障害」を連想してしまったのだ。彼の技術は日本にとどまらず世界各国にて功績をおさめている。

 

が、しかし、それだけで「発達障害」と決めつけるつもりはない。

人は好きなことを仕事にすることが誰にでもできるわけではない。彼はその「好きなこと」を子供のように柔軟な発想で、一つの物事を追求して生きてきた。

 

ただ、彼はその好きなこと以外、「何も考えられず」にいる。子供がそのまま大人になったかのように、会えば無邪気であり、好きなこと以外不器用であるところがありありと出ているのは確かだ。好きなことを考えること以外、余裕がない彼が(勝手に私はそう思っている)、常に人間関係に悩まされている。

 

ただ、社会にいれば好きなことばかりを考えているわけにもいかない。

 

ましてや、特に彼のような才能を持った人間なら、人の嫉妬裏切りなど、人の裏表を身近に感じているに違いない。そんな中を彼は心の傷として背負いながらも、「何かのせい」もしくは「何かしらの原因」など考えず、他人と向き合っている様は、痛々しささえ覚えるのである。好きなことに没頭してきた彼からすれば、自分の周囲にいる人間はすべて悩みの対象となり、これは不器用としか言えないのである。

 

子供の頃から変わらず大人になった彼は、私からすれば見ていれば微笑ましいとしか思えない。おそらく彼の頭の中に「発達障害」という言葉など一切ないだろう。もちろん私は精神科医ではないのだから、彼が障害を持っていると決めつけることは良くないことである。それより、私は他人が「発達障害」という言葉を彼の心に植え付けてしまうことがあって欲しくない。そして彼の心にも留めて欲しくない。

彼の頭の片隅ですら、置いて欲しくないのである。

 

発達障害の著名人は多い。日本の社長で言えば、楽天の社長も発達障害の傾向にあると自ら公言している。

しかし、本人が発達障害を認識しているのならともかく、発達っぽいと周囲が「思う」だけで、本人を悩ませるようなことはして欲しくない。

 

「天才かつ子供っぽさ」は彼が持って生まれた、生きる証でもあるのだから。