リベラルとモラル

フィクションとして読んでください。

例えば恋愛のはなしであるがここでは、一緒に考え感じてもらえるとありがたい。

《恋愛において、リベラルな考えを持っているとする。これも一つの思想なのかもしれない。このことを隠すつもりも、恥ずかしく思う必要もない。「誰かが」ということには触れない。日本はモラルが人々を支配することはない。大罪になることもない。だが思想は時として、暗闇となり人間を引きずりこむ。いまの昨今である。それはあくまで個々の考えかたとしてほしい。リベラルにものを考えられるのは、世界のなかで日本もそうである。しかし、誰もが恋愛はすべてにおいて自由だとは言い切れないことはわかるだろう。道徳心が大切だと言えばはなしは終わりだが、未だ世界では、モラルに忠実であることを人々に求めたりするのである。宗教であったり組織などだったり、いずれも思想へと転じ破滅へと向かう。道徳(モラル)と銘打って人を支配するがしかしそれは人々を退化させる。》

なんだか怖くなる。のは、ある意味書いた私だけかな。

 

シナリオを作る年下。

あなたが大切にしている人は「年上」ですか?「年下」ですか?ここで言う年下・年上は8才以上とさせていただく。

幾つなっても恋愛は人生を充実させるものではないか。素直に今そう思える自分がいる。だが年を一つづつ重ねるにつれて、いつの間にかできてしまう、男女の恋愛構図。年上は年下を甘やかし、年下はどこか年上に甘えてなめてかかる…。「シナリオを作るんです、年下は。」どういうことだろうか。「年下は、ずる賢いんです。シナリオを作って私を誘導するんです。」そう言うのは20才年下の彼がいる女性。ところが「許してしまうんです。」そうですか…。彼女の性格かと思った私に彼女は「でも同じ年の人や年上の人に、そんなことしません。同い年の彼だったら"自分でやったらぁってなります。"」彼女は続ける「たとえシナリオだとわかっていても、喜んでくれればそれでいい。それがいいんです。」20才の年の差を知った時の衝撃もあった。それだけに、彼女からしてみたら「彼は大切な男性」なのだと言う。ずる賢いのもシナリオを作ることも、ひっくるめて自分の人生の中にいてくれる彼を彼女は大切にしているのだろう。それは彼女を見ていると、辛いだの苦しいだの、そんな言葉は一切出てこないのである。私も「順調」に年を重ねているので、彼女の気持ちは少しくらい理解できる。許せるかどうかは別として。私なら「自分の人生の中にいてくれる彼を大切にしたい」と思う。何かに焦るわけでもなく、何かを疑ってかかるわけでもなく。ただただ静かに、穏やかに、感謝したいよなぁ。

 

だから許すのだろうか…。

 

ベルリン出身の写真家の彼

新しい彼は、「ベルリンから始まり、シンガポール、オーストラリア、パリ、アメリカ、ロンドン」と居場所(仕事場)を点々とする。バックグラウンドは世界だ。いまはどの辺りだろうか。追いかけなければ、彼はどんどん先に行ってしまう。つい先月まで、開高健が心の友だったが、いい加減彼に別れを告げ、次へ急ぐ。今度は写真だ。映像であり、また芸術である。次の彼は異国人だから、会話が一苦労だ。いまだ相手も、私も様子見の状態である。だが会話のテーマが見つかった今日からはそんなにゆっくりもしていられない。前へと攻めなければならないのである。 彼はメルボルンを旅していた。そこが私たち二人の出発地点だ。

 

奥さまは了解済み。ちなみに奥さまも写真を撮る。夫婦きってのおしどり夫婦だ。夫婦の馴れ初めも聞きたい。メルボルンで彼はファション雑誌の仕事をしていた。写真を見せてもらうと、いわゆるモードな洋服に身を包んだモデルの、保守的な写真なのだ。彼の撮る写真からはかけ離れている。仕事を得るために、彼の好きな写真を撮るためには、彼はやらなければいけない。しかし彼は嫌々やっていたのだろうか。彼の腕は高く買われているようだ。仕事先は世界的なモードファション雑誌のヴォーグである。彼の本当の意味での才能は、ここで終わるはずもない。彼はどのようにして確立させようというのだろう。写真界屈指の才能を誇る彼が、世界の頂点となるまで。

 

私はその目撃者の一人となろう。

 

 この文章の雰囲気でいこうかな。月曜日はまた打ち合わせだ。

ハルキについて

作家村上春樹に対し、みんなどんなイメージを持っているのだろうか。私が周囲に聞いたかぎりでは、あまり芳しい印象の答えはない。「ムラカミハルキ」という名前は本を読んだことがなくても、誰もが知っている。それは本人がメディアに出なくても、メディアが「ムラカミハルキ」を取り上げるからだろう。それはもちろん世界のムラカミハルキであり、メディアで取り上げるに相応しい内容のともなう行動をとるからである。なぜ私の周りは良いイメージがないのか?聞けば、本の内容にあるという。読んだことがある人はわかるだろうが、彼の小説にはお洒落な銘柄がよく出でくる。もともとジャズ喫茶を経営していたムラカミハルキは、ジャズナンバーはもちろんのこと、玄人受けすることにおいても詳しい。私はハルキストではないので、マニア受けする、いやメディア受けする情報は定かではないのだが彼のWikipediaを見れば、おしゃれ~な部分は一目瞭然だろう。そして小説を読めば「主人公でお洒落なイケメンの若い男性」が出てくる。どうやら、ムラカミハルキにとっつきにくく感じるのはあまりにも、ハルキが書くものに「自分のもっているモノを投影」させているからではないか。それはどこか、高いところから世の中を俯瞰しているかのように感じるのである。意識が高いと言うのとは、また別のものだ。ただ、文章はとても読みやすい。誰もが手を出しやすい内容なのだ。

 

作家は、読み手がいい様に解釈して読まれて、いい様に創られていくが、ある程度の読み手とのズレはないのだろうか。

考えれば、ムラカミハルキはブランド化しているいい例かもしれない。他に、している事はまったく違うが三島由紀夫が浮かんでくるのは私だけだろうか?三島もムラカミもスタイルはまったく違うが「創ることへの意識」がどことなく見える。それを否定はしない。

 

村上春樹というブランドは本人やメディアが創りあげ、多くの人を魅了させるのと同時に、ブランドを嫌がる人もいる。私自身はどうかと言えば、ムラカミハルキはきらいでは決してない。三島もムラカミも、色濃く世の中に残っていくだろう。これからの村上春樹に文筆以外での活躍も期待したいし  いずれ評論も書いてみたいと思う作家である。

 

村上春樹のファンの方々へ。まだまだ開拓の余地はある為、この様な内容で申し訳ございません。

 

夜の時間の過ごし方

実は時間の使い方が下手な私です。朝はなるたけブログを書くか、本を読む時間にあてたいわけです。でも書き終わらず、後回しにしてしまうか、本よりも書かねばという焦燥感が襲ってくるのです。私の焦燥感はいい結果がうまれない。または夜通し原稿を書いていると、眠る時間が少ししかない。このため原稿を書いている期間は、ショートスリーパーになりつつあります。果たしてそれがカラダにいいのかココロにいいのかどうかわかりませんね。ですが、この夜中から朝方にかけての普通寝ているとされる時間帯に起きている毎日が定着しつつあるのなら、これは不規則で悪しき生活では決してなくて、原稿書きのために夜が明ける前すでに起きているという毎日を送ることは、私にとって快調なのです。

 

あなたにとって”快調なリズム”、ありますか?

 

常に何かをしていないといられない、予定が分刻みでみっちりという方。良いと思います。そんな日常も羨ましい限りです。私は数年前、夜中起きていることに罪悪感を感じたことがあります。でも夜になると誘われるがままに、夜の煌々とした街中を歩いていたのです。そして朝方眠る生活。昼間と夜が逆になることに、とてつもなく疎外感を感じ、社会から切り離される感じまでしたのでした。友人は朝に起きていることに対し罪悪感を感じるのだそうです。あー、朝日が出てしまう、早く寝ようと言っていました。私は朝早くから活動できることが嬉しいという人間なので、友人との付き合いはきついものがあったのです。

 ”夜の過ごし方が、人生を制する”でしょうか。朝の時間の使い方じゃない?そんな本もあると言う方もいるかと思いますが、私にとっては夜の過ごし方です。

 

みなさんはどうでしょうか。

 

 

 

 

 

 

クスリのリスク

薬を飲まずに、こころの病いを治したいと願っている人がいるのはご存知だろうか?私は最近知ったのだが、医師にもその様な治療法に積極的に取り組み、講演なども行っているというのだ。今の私の知識ではこのくらいしか言うことが出来ない。しかしたしかに考えてみれば、多くの化学薬品を飲む、それも長期にわたって体に取り入れるのだ。当然多くの人が抵抗があるし、飲み続けた薬は簡単に自分の意思で止めることが出来ないのは不安なことだろう。

 

私は以前、精神障害の雇用の実態について医師はもちろんのこと、当事者、行政、支援事業所など、取材を申し出て、ノンフィクションとして書き上げたことがあった。薬に関しては「飲むことが当たり前」とし、今の今まで考えなかったのだ。薬のことで、これだけ悩んでいる人がいることは、まさに死角だったのだろうか。薬については、あらためて書くことが出来ればと思った。

 

尊い感情

やっぱり私には多くの本に出会うことが必要であると言われた。たしかにその通りだ。多くの本に出会うというより、私の場合は多くの作家にたくさん出会いたい。今の私は、物凄く強欲というか、貪欲というか、書いた人ひっくるめて大切にしたいのである。人と出会い、人と接するように。今書いているのが終わったら、なるべく多くの本に出会おうと思っている。出来れば今すぐと思っているくらいなのだが、今書いているものが終わらない限り、余裕がない。時間がある限り、そちらに充てたいと考えているからだ。

 

人を求めて、人を信じて、時には人とぶつかって憎むこともあるだろう。そんなことが大切なんだと、今あらためて思う。人を憎むことがいいの?そう思う人もいるだろうけど、人と関わっていく限り、必ずぶつかる壁であり、それは人間のもつ当たり前の感情なのだと思う。だから私は、関わってきた人たちを、関わっていく人たちを尊く感じ、愛おしく大切にしたいと今は心から思うのである。環境は刻々と変わりつつある。いつまでも同じ場所にいたくても、いられない。

 

また誰かを愛するだろう。それは小説の話である。今度は誰を愛し、大切にすればいいのだろう。もう二度とこわくて、苦しい思いをさせないために。私ができることって何だろう。

いや、そんな必要もないのか。

 

さ〜て、頑張ろう!