福田奈美

芸術的センス

先日、公募へ応募するための作品を、原稿用紙3枚分ということで3枚みっちり書いたのだが自分のことを書くと、どうも周りの反応は良くない。面白くないのだろう。フィクションより、ノンフィクションを書いた方がいいと自分でもわかっているし、望んでいる。なぜフィクションは駄目なのだろうか。ある人からは、描写に多くの言葉を知っていないと、読み手に情景が見えてこないし、芸術的表現がないと、これはもう小説ではないと…。

 

それから「センス」。芸術的表現と近いところにあるのではないだろうか。これは作家になろうとするなら必要だ、というより磨かなければ、良い(と思われる)小説は書けないと私は思う。先に、言葉を知らないと書けないと言ったが、言葉をただ闇雲に知っていればいいわけではないし、知識があるからいい文章が書けるものでもない。やはり、辿り着くのは「センス」ではないだろうか。自分がどんな一節一節を書きたいか。自分の「センス」で表現できるのは小説のいいところだと、私は思う。

あとは、読点などにも私はその人のセンスが出ると思っている。私はたいてい好意を持った人の文章の癖、読点などの頻度など、マネしてしまう癖があるのだ。

だが

 

よくわかる文章表現の技術〈1〉表現・表記編 (新版)

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、やはり「センス」だけでものを書くのは上達に伸び悩む。小説も芸術とするなら、芸術は「センス」だけでは表現できないからである。基礎はしっかり身につけなければならない。そして最後に辿り着くのは「センス」である。