福田奈美

心酔する文章

ブログに集中すると書かねばならないことが書けなくなる。なのでしばらくの間、中途半端な文章(自分の中で)になることは仕方ない。やらなければならないことに集中する。以前に書いたが、メルボルンにいる彼を追わなくてはならない、いや今は巴里だ。

 

ところで、人の文章を読んで心酔したことはないだろうか。私は、文筆屋ではないが、ある専門誌に連載している(セミプロというのか)人の書く文章が好きである。どこか男くさいのだが、どこか繊細なのだ。文章は人となりが出るものだと私は思っているので、おそらくその様な人なのだろう。私の解釈でいえばその様な人だと思っている。最初読んだのは、十年以上も前のことだ。そして数年前、ふただび目にする。変わっていなかった。繊細なところに、緻密さを増していた。どこか開高健の文章に似ている。言葉が散乱しているかのように使われているのだが、それは収まるべきところにおさまっていてそして新たな描写として印象付けている。開高のグロテスクかつ血なまぐさい表現が、その細工だけで、繊細で味わいのある描写に変わる。そんな感覚を覚えるのである。

私にとって心酔する文章とは、そのような文章だと思っている。まあ、好きな人がいたら、もれなく文章も好きになるのかな。

あこがれなのかもしれない。